「自分で体験してみないとわからない」とはよく言ったものです。
私は、特別想像力に欠ける冷たい人間じゃないんじゃないかなと思っています。まあ温かいかといわれると温かくもないかもしれないんですけど、「普通」だと思います。
だから、「難病について考えたこともない」とか、「難病の人はみんな不幸、健康こそ幸せだと考えてる」というわけでは全然ないです。
それでも、自分がIgA天疱瘡で病院に通うようになって、いかにその中に多分に幻想が含まれていたか、思い知りました。
本日はそのへんを、ざっくばらんにシェアしたいと思います。
1 ネットにない情報なんて存在しない
ネットは万能だと思っていました。特に、医学情報なんて誰かが必ず掲載したいと思うはずだし、間違ってたら誰かが更新するはずだと思ってました。
現実には、「天疱瘡・類天疱瘡スターターキット」でもご紹介した通り、古い情報が平気で掲載されてるケースもあります。
「国際◯◯財団」と銘打ってる財団が、日本語ページを持っていません。
私のかかっているIgA天疱瘡に関する情報の少なさは、もう病気の実在を疑うレベルです。
もう一つ、不足を痛感するのは、難病患者のための「生きるコツ」みたいな情報が極めて少ない、というか未だに日本語では確認できてないです。
恋愛指南、仕事の仕方指南、ダイエット指南、メイク指南、こういうものは無数にあります。もういらないだろと思うけど、これからもどんどん出現し続けるでしょう。
でも難病指南はない。病気にかかったら、混乱しながらも、自分でやることを整理して、考えて、試行錯誤しなきゃいけない。
これは、結構デジタル世代には辛いです。告白の仕方までネット検索する世代には、少しはヒントくらいあってもいいのになって思います。
「自分に向けた情報がない」というのは、思った以上に疎外感あります。
2 周りに同じ病気の人がいない?ネットで探したら多分見つかるよ!
これもネット信仰なんですけど、IgA天疱瘡の患者さんは未だに日本人は1人も見つけられてません。いないのか!?
国際天疱瘡・類天疱瘡財団の掲示板で、数人見つけましたので、実在はしてるようなんですが。
趣味や共通点で日本中に友達作る方法といえば、Facebookグループですよね!
病気関係のグループはめちゃくちゃ少ないです。自己免疫疾患はなし、難病は少しあります。
ネットの実力を思い知りました。ネットは、何万人が知りたいことしか載ってないんですね。
3 検査結果は瞬時に出る
これはドラマや小説の影響が大きいんですけど、普通、検査結果を待ってる情景って描かないんですよね。
普通は、「あなたはこの病気かもしれません、検査を」「ええっ!?」という場面から、「検査結果です」「ええっ!?」という場面にすぐに転換するんですよね。この待ち時間のなさこそが、実はフィクションなんだと初めて知りました。
現実には、検査結果が出るまでに1ヶ月間かかったりするんですね。何なら、検査の順番待ちみたいなのも発生しますしよね。
「難病」と「待つ」という言葉の間に、こんなに強い関連性があるとは知りませんでした。
4 健康とは、病気にかかっていないことである
病気に一つでもかかっていれば、「健康ではない」というのが、辞書的な定義な気がします。しかし、この定義に基づくなら、自己免疫疾患の患者はみな健康ではないことになりますし、一生健康にはならないことになります。
私の「健康」は、辞書的には一生失われてしまったということみたいです。
しかし、私は今の感じとして、「健康ではない」とは思わないんですね。いや、「不治の病」患ってはいるんですけど。
自己免疫疾患は、
症状がとても出てる状態←→症状が落ち着いている状態
の両極端の2つの状態を行ったり来たりすることになります。自己免疫疾患にとっての健康は、「症状が落ち着いている状態」に少しでも近づくことを意味します。
なので、症状の面で見ると、健康は一次元の数直線と言えます。
残念なことに、この健康というのは、自己免疫疾患にとってはあまり目指しがいのない概念です。なぜなら、自己免疫疾患の多くは、症状のコントロールができず、治療をしていても、数直線上をビュンビュン動く可能性があるからです。
こうやってビュンビュン動く数直線をイメージしてみると、それに対してその人がどんな風に感じているのかなと気になるのです。
希望を失っているでしょうか?それとも、希望を捨てないように戦っているでしょうか?
これは、どっちの状態にあるのかってめちゃくちゃ重要ですよね。人生における「経済状況」や「性」みたいに重要、いやもしかすると「健康」並に重要かもしれないです。
これはすっごく詭弁なんですけれども、私は、「症状がとても出てる状態」にいたとしても、前向きに希望を捨てずに生きて、人生に意義を見出していれば、それは最早「健康」と言っても差し支えないのではないか?と思っています。
病気に対する自分の気持ちは、症状の程度と同じく、「健康」という概念の一部に含まれると思うんです。
辞書的には全然「健康」ではないし、症状的にも「健康」ではないのですが、「健康」って言うのって無理ありますかね。私の中では勝手に「健康」って言っちゃいます。
この一連のことについては、いろいろなことを感じます。
病気自体や環境に対する苛立ち、怒りはあります。
でも同時に、知らなかった世界を目の当たりにした驚きや嬉しさみたいなものもあります。
多分私は、自己免疫疾患にかかっていなければ、こんな世界があることに気づけなかったと思います。
自分では全くコントロールできなかったし、今もできないんですけれども、新しい章を開いた感じです。